空から落ちてくるストライカー、サモラーノ

 元インテルのフォワードが今日、50歳を迎えた。そこでMondoFutbolが、情熱と個性に溢れた彼の半世紀を振り返る。

 ミラノ発「俺の血には情熱と個性が常に流れていた。『もしイバンがもう少しちゃんとボールを追いかけていたら・・・』なんて後悔を試合後に口にする人は誰もいなかった。なぜなら、俺は常にボールを追いかけ続けたからだ」

 疲れ知らずのイバン・サモラーノに送られる拍手喝采や賞賛の言葉、観衆からの声援に、文句をつける者は誰もいなかった。それはどのクラブにいる時も変わらなかったが、彼を取り囲む環境と素早く深い絆を築いたインテルにいた時期が一番多くの賞賛を受けていただろう。

 そしてその元チリ代表が今日、50歳の誕生日を迎えた。そんな彼の顔も今では少しばかりしわが増えたかもしれないが、彼がミラノで過ごした4年半は今でも色褪せることがない。

 彼はキャリアの中でチリ、スイス、スペイン、イタリア、メキシコ、そしてもう一度チリを渡り歩き、その力強いプレーから『バン・バン』というあだ名が付けられた。

 サモラーノはまずエルサルバドルのCDコブレサルで、子供の頃から磨き続けたヘディングのスキルをさらに洗練し、強大な武器とする。そしてワンシーズンを過ごしてからヨーロッパへ移籍した。

 最初のクラブはスイスのザンクト・ガレン。当時彼はまだ20歳だった。次に彼が移籍した先はスペインのセビージャ。そこで発揮した得点力とエリア内での存在感が認められ、レアル・マドリードへ移籍を果たす。

 そして、当時レアル・マドリードで指揮を執っていた非常に懐疑的なホルヘ・ヴァルダーノ監督をも認めさせ、それからバイエルン・ミュンヘンからのオファーを断り1996年の夏にインテルと契約を結ぶ。

 インテルサポーターがバン・バンの空中戦の能力を思い知るまで、時間はかからなかった。彼はインテルに来て最初のシーズン、3-1で勝利したACミランとのダービーでゴールをマーク。カリアリ戦でもポール・インスからのクロスを、まるで宙を歩くように高くジャンプしたサモラーノが力強く頭で叩き込んだ。

 サモラーノは1997-98シーズン、インテルが再び欧州の舞台で上位に立つ原動力となる。UEFAカップの準決勝FCスパルタク・モスクワ戦で、またしてもヘッドで得点。その次のラツィオとの決勝戦でも相手の守備の牙城を崩した。インテルはそのままトロフィーを獲得し、サモラーノの功績は国の誇りとして、そして新アイドルの誕生が母国のチリ中で祝福された。

 イバンはキャリアを通して背番号9をつけ続けたことで有名だが、それはサモラーノが13歳の時にこの世を去った父への贈り物だった。しかし、1998年の夏にロベルト・バッジョが加入すると、彼が背番号10をつけることになり、自動的に背番号10をつけていたロナウドが背番号9に変わる。そしてイバンはその特別な拘りを諦めなければならなくなった。

 しかし、サモラーノは意外な方法で背番号9を維持する。彼は背番号18を選択すると、1と8の間に小さなプラスを入れ、合計で9になるという新しい背番号を生み出した。そして、それがきっかけでイバンの名が一躍世界に広まる。今でもそのユニフォームは、チリとインテルと彼の父を結ぶ強いシンボルとしてサンティアゴの自宅に飾られていている。

 イバンが誇りとハードワーク、そして決意でもって違いを生み出した場所は、紛れもなくインテルだった。彼の武器である勢い、ジャンプ、ゴールが今日でも続く偉大なラブストーリーのモチーフとなっている。

 空高く舞って強烈なヘディングを放ったバン・バンへ、インテル関係者全員より誕生日おめでとう。

 


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