インテルとU21欧州選手権:継続するサクセスストーリー

 1970年代に活躍したナッツァレノ・カヌティから今日のガリアルディーニまで:これまで多くのインテル選手がU21欧州選手権で活躍してきた。

 ミラノ発 – 1980年にセリエA優勝を果たしたエウゲニオ・ベルセッリーニ監督率いるチームのメンバーだったナッツァレノ・カヌティはインテル選手で初めてU21欧州選手権イタリア代表に選出された人物である。U21欧州選手権は1978年から始まり、このDFに注目が集まった。彼はイングランド代表との準々決勝2ndレグを戦ったがアツェリオ・ヴィシーニ率いるアッズーリは最終的に敗北を喫する。だが、これはインテル選手とイタリアユースチームのサクセスストーリーの始まりであった。

 インテルの伝統は守られ、クラブは国内外で成功を収める。1986年、ワルター・ツェンガ、リッカルド・フェッリ、ジャアンフランコ・マッテオーリは母国の代表に選ばれた。その年の大会でU21イタリア代表は決勝までに駒を進めたが、ルイシト・スアレス率いるスペイン代表にPKで敗れてしまう。6年後の1992年、ディノ・バッジオがU21イタリア代表メンバーとしてU21欧州選手権を制覇。1996年スペインで開催された同大会でもサルヴァトーレ・フレシとアレッサンドロ・ピストーネ擁するイタリア代表が優勝を飾る。その他にも51人のインテル選手たちがU21イタリア代表としてU21欧州選手権に出場。その中にはファヴァッリ、ポテンツァ、トルド、カルボーネ、ヴェントラ、アンドレア・ピルロの名前もあった。ピルロは元インテル選手でありU21イタリア代表で史上最多数ゴール(16得点)と最多試合出場数(46ゲーム)を記録している。

 2013年、デヴィス・マンジャ監督率いるU21イタリア代表は6名のインテル選手を引き連れてイスラエルと向かった。同大会に旅立ったその6選手はユース世代で多くの成功を成し遂げていた。2011-12シーズン・プリマヴェーラ王者、トルネオ・ディ・ヴィアレッジョ2008と2011を制覇、同様にネクストガンシリーズ2011-12シーズンのタイトルを獲得している。フランチェスコ・バルディ、マッテオ・ビアンケッティ、ルカ・カルディローラ、ジュリオ・ドナティは決勝戦のテディー・コレク・スタジアムに立っていた。対戦相手のスペイン代表にはイスコ、アルヴァロ・モラタ、そして短期間のローン移籍でインテルに加入して公式戦4試合に出場したマルティン・モントーヤが先発メンバーに名を連ねていた。バルセロナのカンテラで育ったモントーヤだけがインテルを代表するU21欧州選手を制したで外国人選手ではなかった。イゴーリ・シャリモフはソビエト連邦代表として同大会を制し、インテル選手としてはニコラ・ベルティとヴィム・ヨンクと共に1993-94シーズンUEFAカップを掲げた。ローラン・ブランとジョスリン・アングロマも当時のインテルの中心選手であり、1988年U21欧州選手権フランス代表として出場し、母国に優勝トロフィーを持ち帰った一員でもある。

 現在、ロベルト・ガリアルディーニが過去の栄光を再現しようと困難な大会に臨む。彼は元インテル選手であったルイージ・ディ・ビアジョに招集された。23名のU21イタリア代表はポーランドで死闘を繰り広げるだろう。ガリアルディーニは今年の1月にインテル加入を果たし、すぐにネラッズーリの中で自分の居場所を見つけた。彼は自分の個性を示しながら、厳しいタックルを仕掛けていた。そして顔を上げながらプレーし、オフ・ザ・ボール時の動きは素晴らしく、彼の足からゴールも生まれた。ガリアルディーニはインテルユース・アカデミーで育ったマルコ・ベナッシとルカ・ガッリタノとチームメイトとなる。そして最近、成長著しいロベルト・サマデンも同代表メンバーに選ばれている。これはインテルが将来性ある選手たちに目をつけ、トレーニングを行い、代表メンバーまでに育て上げている証であり、これがサッカーの醍醐味だ。我々は彼らが素晴らしい成績と共に帰路につけることを望んでいる。

 


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