アルバロ・レコバとエンポリFCの物語

 元ウルグアイ代表FWのイタリアでのキャリアは、様々な場面でエンポリと絡み合ってきた。MondoFutbol.com がレポートする。

 ミラノ発 – FWの選手はみな、最適なターゲットを定めている。それに対してチームはただ、すべてのシュートがレーザーで導かれたようにゴール隅に吸い込まれることを期待している。

 ネラッズーリの伝説的FWアルバロ・レコバにとって、そのチームはエンポリだった。いくつかの不思議な理由から、エンポリ戦でのレコバの試合や得点が、彼のイタリア滞在を象徴するものになった。1997年から2008年にかけて、レコバはエンポリ戦で6ゴールを挙げ、うち2ゴールは1999年、5ヶ月間にわたるヴェネツィアへのスリリングな期限付き移籍中に生まれたものだった。エンポリ戦でのレコバのゴールは、同選手のイタリアでのキャリアにおけるフェーズを示す指標のようなものである。1997-98シーズンのスタディオ・カステラーニで、のちにレコバが「ベンチに座っている時から考えていた」と語った50ヤードの距離からのゴールは素晴らしいものだった。ほとんど無名だったウルグアイ選手がセリエAで決めた3ゴール目だった。

 その後より成長したレコバは、2003-04シーズンのエンポリ戦で寸分違わぬフリーキックからインテルを3-2の勝利に導き、チームにチャンピオンズリーグ・プレーオフ出場権をもたらした。そしてレコバはサン・シーロでの最後の試合で、FKから直接セリエAでのセミファイナルゴールを決めた。このゴールは、彼がウルグアイに戻ったあとも彼のストライカーとしての代名詞になるであろうものだった。

 ところでレコバは、謎めいた人物だった。ある人にとっては疑いようのない天才であり、ある人にとっては危なっかしい狂人だった。あなたが彼に対してどんな感情を抱くとしても、それは決してありふれたものではないだろう。彼はインテルでカルト的人気があった。しかし一部のファンにとっては戦術的な要求をおなざりにし、監督のプランに従わない存在だったため、彼の名前から “レコビアーノ”という形容詞も生まれている。

 他のスター選手たち同様、レコバの評価は割れていた。しかし彼の才能は批判を凌駕した。彼は、どの選手も夢見るような技術でDF陣を困惑させたかと思えば、時にはいつ次の一撃が来るのかとやきもきさせた。ある方向にフェイントをかけたと思えば一瞬で敵を置き去りにし、削岩機のように左足からのキックを炸裂させた。これがいわゆるレコビアーニ弾だ。天才レコバの先見性が、彼にもあったであろう限界をカバーした。 予測不能を予測すること。それをインテルの背番号20から学ぶことができる。

 彼はこのことを、1997年8月31日のデビューの時点で証明していた。夏の大規模な移籍市場でロナウドがインテルと契約したが、一方のレコバはベンチに座り、新チームがブレシア相手にゴールを決めるのを見ていた。そしてウルグアイ出身の同選手がウォームアップを始めた。終了18分前にチャンスを得たレコバは、すぐさまウェイアウトから左足で強力な一撃放ち、自身がインテルレベルであること示した。そして3分を残したところで、レコバが素晴らしいロングレンジのFKをゴール上隅に叩き込んだのだ。この光景に、メアッツァの心は鷲掴みにされた。ところがレコバは続く試合で7分に負傷し、1月までサイドラインで試合を眺めることを余儀なくされてしまう。しかし彼は見事なやり方で復帰を果たし、カステラーニで喝采を浴びた。

 一貫性がないという点でレコバに批判的な人は間違っている。なぜならそれは、彼のキャリアを通じて長い間多くのファンを魅了してきた彼の才能の一部であり、ほとんどの人はピッチ上で立ち会うことのできない素晴らしい瞬間をコンスタントに生み出してきたからだ。

 痛みを抱えながらもレコバはエンポリに打撃を与えた。インテルが水曜にこの町を訪れたとき、恐らくスタディオ・カステラーニでさえ、この素晴らしいウルグアイ選手の左足の記憶を留めておきたいと思うことだろう。

アレッサンドロ・バイ

 


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