ロベルト・ガリアルディーニ、サン・シーロのダーリン

 MondoFutbolが、ロベルト・ガリアルディーニのマリアーノ・アル・ブレンボからインテル移籍までの道のりを振り返る。

 ミラノ発 – コッパ・イタリアでインテルがボローニャに勝利した翌日、ロベルト・ガリアルディーニがフェイスブックに短いメッセージを投稿した。「無駄なハードワークなど一つもない。苦しむが、夢を見ることができる」― これがインテルのMFガリアルディーニが書いた言葉だ。

 これは、インテルへの加入を果たした若きガリアルディーニにはまさにうってつけのスローガンだった。ハードワークにより壁を一つひとつ乗り越えるのが彼を形成する性格なのだ。ガリアルディーニは、教会の鳴らすベルが静けさを壊す唯一の音と言っても過言ではない静かな町、マリアーノ・アル・ブレンボでサッカーを始めた。

 彼が将来のキャリアの土台を築いたその場所は、1990年代に入ると少し様子を変えた。サン・シーロよりもずっと前、さらにはベルガモよりもさらに前のことだ。ここのピッチでロベルト・ガリアルディーニはその才能を見出され、7歳でアタランタにスカウトされた。目をつけたのは、アタランタで数多くのタレントを育ててきたミノ・ファヴィーニだった。

 ファヴィーニはガリアルディーニを次のように説明している。「時が経過すると、彼のフィジカルレベルは完全に別物になっていた。彼は今6フィート(約183cm)以上あって、子供の頃の体格とは完全に異なる。彼は最初はストライカーだったが、とても多面的な才能のあるプレーヤーだった」

 しかし彼は、ゴールへの執着心を失わないまま、ピッチの心臓としての役割を担い、チームを指揮する立場を楽しみつつ相手の攻撃を遮断する、ボックス・トゥ・ボックスの司令塔として成熟していった。

 ガリアルディーニはその後、チェゼーナ、スペツィア、ヴィチェンツァを経由し、ベルガモに戻る。そして2016-17シーズンの序盤にイタリアサッカー界を席巻する。常にハードワークを惜しまないプレーで、町の心を惹きつけていった。そして、ついに国際舞台へ招集されることになる。そして、インテルのスポーツディレクター、ピエロ・アウジリオが、アタランタにまだ所属したばかりの頃から着目していたガリアルディーニをインテルに呼び寄せたのだった。

 そして1月、ガリアルディーニが正式にインテルの選手になる。このようなステップアップをすれば誰もがやる気を漲らせるもの。ガリアルディーニはキエーボ戦、ボローニャ戦、ペスカーラ戦で実際に素晴らしいパフォーマンスを披露しインテルの信頼を勝ち取った。彼のプレースタイルと落ち着きが、インテルの中盤を活性化している。だが、ガリアルディーニは自分自身も前に上がり攻撃参加することもあれば、スペースを探しにワイドに広がることもある。つまり、ステファノ・ピオリ監督のサッカーに完全にマッチしているということだ。


 English version  Versión Española  Versi Bahasa Indonesia  Versione Italiana 

読み込み中