ミラノ発 – 2m近い長身ゴールキーパーが、インテルデビューを飾った試合はミラノダービーだった。そこで新しい守護神が何度もピンチを凌いでチームを救うと、インテルのサポーターはその姿に完全に目を奪われていた。
2012-13シーズンのことだった。サミル・ハンダノヴィッチがウディネーゼから移籍してたったの数ヶ月しか経っていない。しかし、ダービー戦で驚愕のパフォーマンスを引き出し、1-0の勝利に貢献した。
絶妙なタイミングでの飛び出し、アクロバティックなダイブ、正確なキャッチング、そして何より重要なのは、彼の圧倒的な冷静さだ。まるで、地元リュブリャナでフットサルの試合をしているかのようにリラックスしているのだ。それが、ハンダノヴィッチのインテル移籍の決定打となった。
また、ピッチ内外を問わず、ハンダノヴィッチは完璧なタイミングを待つことの重要性を理解している。彼は、優しくてバランスの取れた男だ。彼は、灰色の住宅地と緑の丘にそびえ立つリュブリャナ城の間に位置するゲットー地区で育ち、その子供時代が彼の今の人間性を形成している。
ハンダノヴィッチのキャリアは、スロヴェニア国内のスロヴァンでスタートする。その後、ストヤノヴィッチを経てドムジャレに移籍。そのまま19歳の時にスロヴェニアのトップリーグでデビューを果たす。そこで才能を輝かせたハンダノヴィッチは、すぐにスカウトの目に留まり、ウディネーゼへ移籍した。
しかし、なかなかスタメンの座を確保できず、2005-06シーズンにトレヴィーゾへレンタルされる。そこで出番を増やし、実力アップを目指した。
しかし、トレヴィーゾでの期間もすぐに終わりを迎える。そして次に向かった先は、ラツィオだった(2005-06)。
それから2006-07シーズン、リミニに期限付き移籍。そこでついに定位置を手にしたハンダノヴィッチは、着実に自身のキャリアを積み上げ、スロヴェニアGK界の光となる。
ウディネーゼに復帰すると、モルガン・デ・サンクティスから守護神の座を引き継ぎ、さらに成長していく。そして2010-11シーズンには、PKストップ数でイタリア国内の記録を更新した。
2012年夏、ついにインテルへの移籍が実現する。約束の地、サン・シーロに足を踏み入れたのだ。そこは、彼が幼少時代を過ごしたリュブリャナの町とは大きく異なる。しかし、彼の控えめで静かな人間性が変わることはなかった。インテルで不動の守護神の座を確立したこと以外は。
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