ボニンセーニャ、スクデット獲得という栄光への回り道

 mondofutbol.com協力の下、ロベルト・ボニンセーニャのキャリア形成にカリアリがどのような形で関わったかを振り返る。

 ミラノ発 – ロベルト・ボニンセーニャは1971年の5月2日に彼のキャリアの頂点に到達した。多くの人がそのように言うだろう。ボニンセーニャはこの日、インテルの歴史の中でもとりわけ印象的なゴールを決め、インテルのスクデット獲得に貢献した。ボニンセーニャが、インテルのユース時代から抱き続けた最高の夢が叶った瞬間だった。しかし彼はそこに辿り着くまでに回り道をしなければならなかった。カリアリ経由だ。

 1963年、グランデ・インテルのチームにすぐに貢献できるとは思えなかったので、エレニオ・エレーラ監督は当時19歳だったボニンセーニャを放出する決断を下した。そしてボニンセーニャは、プラート、ポテンツァ、ヴァレーゼを経て、カリアリに行き着いた。そこで彼は、カリアリのレジェンドであるジジ・リーヴァの傍で著しい成長を遂げた。

 ボニンセーニャは、カリアリにいる間、特にゴールが多い選手ではなかった(セリエAの83試合で23ゴール)。しかし彼はシカゴ・ムスタングスの一員として、初期の北米サッカーリーグに参加した際、イタリア人で最初の海外リーグでの得点王となった。シカゴ・ムスタングスがプレーオフに進むことはできなかった。しかし、ボニンバ(ボニンセーニャの愛称)が20試合で11得点したのを筆頭に、チームは、リーグで4番目の得点力を誇った。

 2年後の1969年の夏、彼は再びインテルに帰ってきた。その復帰したシーズンのボニンセーニャは、カリアリが過去最高のシーズンを過ごし、後にも先にも唯一のスクデットを獲得する姿を遠くから眺めることになった。しかし、1970-1971シーズンには、シーズン24ゴールを記録し得点王に輝くなど、きわめて重要な選手としてインテルのスクデット獲得に貢献した。

 ジョヴァンニ・インヴェルニッツィのチームは1971年の5月2日、5-0でフォッジャを破り、最終的にACミランとナポリを上回って、11回目のスクデットを獲得した。ボニンセーニャは、開始7分の素晴らしいゴールでこの試合のスタートを切った。

 マリオ・コルソがジャチント・ファッケッティにロングボールを出す。ボールを受け、顔を上げたファッケッティは、中央のボニンセーニャにクロスを送る。ボニンセーニャは高くジャンプし、ゴールに決まった中で、最も素晴らしいうちの1つとなるオーバーヘッドを決めた。

 インテルでユース時代を過ごし、カリアリでプロとして成長したロベルト・ボニンセーニャ。彼は自身の子供時代の夢を、考えうる中で最もスペクタクルな方法で成し遂げた。


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