サネッティ「インテルの歴史に誇りを抱いている」

 ボルボ・スタジオで行われたヴィジョン2020トークにゲスト出演した副会長が、ベッペ・セヴェルニーニのインタビューに応じた。

 ミラノ発 -  インテルオフィシャルカースポンサーのボルボがミラノの中心地に擁するスタジオで行われたヴィジョン2020トークにゲスト出演した副会長が、ベッペ・セヴェルニーニのインタビューに応じた。

 同氏の栄光と苦難に彩られたキャリアに関するエピソードや小話について触れたこのインタビューはおよそ1時間以上にも及んだ。

 「僕の人生はサッカーと共に始まった」と振り返ったサネッティは、自身のサッカー人生の始まりを以下のように述懐した。「最初に貰ったプレゼントはサッカーボールだった。煉瓦工の父と働いていた時すらも、僕は常にサッカーへの情熱を持ち続けていた。一度、彼は大人になったら何になりたいかと僕に尋ね、サッカー選手だと答えたんだ。彼は『やりなさい、叶えることができるはずだ』と答えた。そこで僕は高いモチベーションを得て、父は以後重要な役割を果たした。以来チームでプレーするようになった僕は、そこでまだ非常に若かったクラブの会長の娘であるパウラと知り合い、こっそり付き合い始めたんだ」。

 「僕の人生を変えた人物?バンフィエルドの2人の監督だよ。若い僕に対し彼らは全幅の信頼を寄せてくれた。『君はセリエAでプレーできるだけの人物だ』と言ってくれたよ。経験豊富な選手を買うこともできたのに、彼らは僕に信頼を寄せ僕を手元に置く決断を下したんだ」

 「ボカとの初戦は僕にとってこの上ない試合となった。何もかもがうまくいく試合というのがあるけれど、あれはそのような試合の一つだった。試合が終わり、後にインテルへと移籍するジュリオ・クルスもプレーしていた。試合後、僕は監督、父や親友と家路へと着いた。人々は僕の力を認め、初めてTVにも出演した。朝起きたら、家の前には報道陣が待ち構えていた。あの試合は僕に可能性を広げてくれたものだった」

 「インテルの役員たちはランベルと契約するためにアルゼンチンに来ていた。モラッティと彼の息子は、僕とも同様にサインするため電話をかけてきたんだ。『いいだろう、ランベルを連れて行くが背番号4とも契約したい』とね。バンフィエルドを離れインテルへ移るのはおかしなものだったし、電話を受けた時は信じることができなかった。僕はパウラと話し合った。決断は僕たち2人の人生を変えるものだったからね。アルゼンチンを後にするのは僕たちにとって挑戦に等しかった。これは常に夢見てきた、大きなチャンスだと僕は思った。祖国を出るのは簡単じゃない、僕の両親にとってもそれは同じことだ。両親なしでは僕苦労することになっていただろう。彼らは僕にとって非常に重要だった。最高だったのは彼らにこう言えたことだよ。『大丈夫、働かなくていいんだ』。息子からしてみれば、これ以上のことはなかったね」

 「僕とパウラは共に大きくなり、2人で数々の障害に直面し一緒に乗り越えてきた。彼女は常に僕の傍にいてくれた。謙虚な女性で、それは僕にとって重要な価値がある。敗戦後、自分を落ち着かせリラックスさせてくれる女性がいる家へと戻れるのは大事なことだよ。僕のキャリアで意味を持った様々な局面に置いて、彼女は非常に重要だった。彼女は僕に3人の素晴らしい子供達を与えてくれた。末っ子はサッカー選手になることができるかって?もしそれが彼の望みなら、僕は全面的にサポートするよ。子供達3人共に、自分たちが好きなことをしている。それこそがなによりも大切なことだ」

 「僕にとっての初試合だったヴィチェンツァ戦は忘れがたいものだ。1998年のUEFAカップは魔法のような夜だった。マドリッド?あれほど嬉しそうなインテルファンはそれまで見たことがなかったよ。2つの瞬間が脳裏に焼き付いている。ウォームアップ中、僕たちは満席のスタンドを見渡し、『彼らを失望させることはできない』と思った。試合後勝利を祝う間、僕はドームが数時間後のサン・シーロのように満員になっている映像を目の当たりにした。幸せそうなインテリスタ達を目にするのは最高だよ。3冠を達成するということは僕たち全員にとっての忘れがたい功績を後世に残し、そう常に想起されるということだ。全てに備え、より強くなるために直面すべき困難は後々やってきた。インテリスタ達にとってもっとも難しい時期にあっても、僕はインテリスタであることに誇りを抱き続けてきたよ。栄光が訪れることを知っていたからね。レアル・マドリードが僕に興味を示していたのは知っていたけれど、僕とパウラは残るべきか、それともインテルに功績を残さずして去るべきかを考えていた」。

 「共にプレーした中でのベストプレーヤー?ロナウドとメッシ、どちらも並外れた選手だ。対戦相手としては?ギグス、マルディーニとカカはマークするのが難しい相手だった。トレーニングではクアレスマが衝撃的だったよ。試合でその全てを見せることができなかったけど、回復してからは良くなったね。延長すべきだった選手?多分あの時は移籍するしかなかったけど、シメオネは止めてもよかったね」

 「ブロゾヴィッチ?幾度とない苦難を経験してから素晴らしい選手となって戻って来た。現在の彼の水準まで戻るのは、決して容易なことではない。彼が実力を発揮できることを嬉しく思っているよ。チームはそれに恩恵を受けているね」

 「モラッティの印象?父親かな。彼は僕を家族へと引き入れた最初の人物だ。インテルは彼の家族だからね。彼と僕は数多くの様々な局面を経験してきた。サッカー選手としてではなく、まず最初に一人の人間として僕のことを考えてくれたことに感謝するだろう」

 「僕たちの変革はクーペルから始まり、マンチーニと共に勝利を収めた。クーペルは素晴らしい仕事を成し遂げ、僕たちは毎試合でハードワークをこなした。僕は誰とでもうまくやっていたし、全員の決断に敬意を払ったよ。僕にとってはチームこそが最も重要なものだったんだ」

 「スパレッティ?彼は機能的な選手たちと共に一致団結したチームを創り上げることができる。彼と彼のスタッフ、チームはチャンピオンズリーグに相応しい。彼らは僕たちが置かれた厳しい状況にも関わらず類稀な仕事を全うしている」

 「もっともナイスガイだった選手?タリボ・ウェストとマイコンだね。タリボは一度僕とサモラーノとコルドバを招待したんだけど、彼は姿を消してその後消息を絶ってしまった。ある日ピネティーナでチュニック姿の彼が現れ、僕たちは彼にどこに行っていたのか尋ねたんだ。彼は『結婚したんだ』と返答した。『でも僕らはその間4試合もプレーしていたのに』と僕たちが言うと彼はこう言った。『兄弟、僕の国では結婚したら1ヶ月は休暇を取るものなんだぜ』」

 「インテル対ユヴェントス?僕たちは偉大なチーム相手に素晴らしい試合をした。不幸にも個人的なミスがまたしても起こり、辛い限りだ。サッカーは続く。僕たちはなにもできない。全てが動き続けるのに、一つのことに固執するのは意味のないことだ」

 引退した時に何を考えましたか?「自分の人生において非常に重要な部分が終わりを迎えた、全力を尽くした、と思ったよ。今、新しい役割をどう果たすべきかを学ぶ、同様の重要な人生の局面を迎えている。この局面においても、僕はインテルの体現する価値を貫くつもりだ」


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