黒と青、2つの色、1つのクラブ

 1908年3月9日にムッギアーニが描いたクラブカラーはインテルの歴史の中でほぼ変わらない。

 ミラノ発 – サポーターは彼らなりの独自の方法でクラブをサポートするが、色だけがすべてのファンを1つにする。すべては色と共に始まり、インテルにとってそれは黒と青である。

 インテルの設立当初も黒と青であり、黒と青が今日のスタディオ・メアッツァへ定期的に訪れる40,000人のネラッズーリファンが纏う色である。

 1908年3月9日、サッカークラブのインテルナツィオナーレ・ミラノが設立された時、インテルカラーはジョルジオ・ムッギアーニのパレットからやって来た。空と夜の色はインテル最初の試合と最後の試合である昨シーズン最終節のウディネーゼ戦でも同じだった。その試合でインテル選手は来シーズン用のホームユニフォームを身に纏い5ゴールを叩き込んだ。2017-18シーズンのホームユニフォームはミラノの空模様にインスパイアされた革新的なデザインである。

 過去のユニフォームからわずかに変わったことは背番号とストライプの厚みである。インテル設立当初は選手たちがプロの仕立て屋もしくは親戚に頼んで自分たちのユニフォームを作成していた。もちろんユニフォームのデザインには色合いやデザインが違っていたのは当然である(ストライプは5本から12本)。

 そして時間が進むにつれ全選手が同じ1つのユニフォームを着ることになった。それはより一層、競技的にプレーすることの重要性が増していったからだ。僅かな色合いの変更、もしくはクラブ概念からは離れた新しい試みがあり、1950年代にはほぼ真っ黒のユニフォームが着用されていた。

 現在ではセカンド、サードユニフォームは必要不可欠だが、インテル最初のアウェイユニフォームは1913-14シーズンに使用された。資料によると、黒の横ストライプが胸のあたりに施された白ユニフォームだった。

 だが大体においてこの数十年間ではわずかな箇所でしか変更を行っていない。2003-04シーズンにはストライプを全て黄色にしたり、2007-08シーズンの白ユニフォームにはクラブ設立100周年を祝うために赤十字架がデザインされた。

 インテルが強制的にウニオネ・スポルティヴァ・ミラネーゼと合併した1928-29シーズンには赤十字架デザインのユニフォームが着用されていた。合併が解消され黒と青ユニフォームを纏う一年前、アルパド・ヴァイス監督率いるインテルが3度目のスクデット獲得する。

 競技的要素の違いは別として、常にインテルは黒と青を身に纏い栄光を手にした。ジャイル・ダ・コスタのユーロピアンカップ1964-65での決勝ゴール、ワルテル・ツェンガがスーパーセーブを連発した1988-89シーズンでは9年ぶりにスクデット獲得、UEFAカップ1997-98はロナウドが圧倒的なパフォーマンスを披露して優勝を成し遂げる。1970年代までのGKのユニフォームは1色だったが、カルロ・チェレソーリは例外だった。1930年代のカルロの写真を見ると、彼はイタリア国旗が胸に施された灰色のユニフォームを着ていた。

 インテルの2017-18シーズン・アウェイユニフォームは数日前に公表されたばかりだ。このユニフォームのテーマは伝統の白色だが、袖には黒と青がある。なぜなら、その日の気まぐれだろうとベーシックカラーは変わらない。そして来シーズン、ネラッズーリは再び成功を追いかける準備が出来ているはずだ。そう、黒と青を身に纏いながら。


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