パオロ・マンデッリ:インテルに始まりサッスオーロに行き着いたキャリア

 ネラッズーリとしてヴィアレッジョ・カップで優勝してから、サッスオーロ監督として同大会のトロフィーを掲げるまで。

 ミラノ発 - 「おぼえている限りでは、私が子どもの頃に唯一怖かったのは重症を負って未来のキャリアにおいて妥協しなければならなくなることだった」

 1967年にミラノで生まれたパオロ・マンデッリは、当然サッカーに関わった人生を送るものだと常に確信していた。1970年代の終わり頃、他の同年代の少年と同様に地元の小礼拝堂の敷地でサッカーを行っていたマンデッリは、その後ネラッズーリのアカデミーに入る。そこで7シーズンを過ごす間に攻撃的ウィングとして才能を開花させ、更にその能力を伸ばしていった。

 そして1986年のヴィアレッジョ・カップ決勝では、インテルのU19メンバーとしてジャンルカ・パリュウカ擁するサンプドリアを下し、インテルにとって3度目となるこの有名なユース大会での優勝に貢献した。

 マンデッリがインテルでプロデビューを飾ったのは、1986年3月16日にスタディオ・サン・パオロで行われたナポリ戦だ。1985-86シーズンにマンデッリの人生は大きな節目を迎え、小礼拝堂で遊んでいた頃からの夢がついに実現することとなった。1986年5月21日、マンデッリはコッパ・イタリア準決勝2ndレグのASローマ戦で1-1の状況で途中出場を果たすと、見事な個人技によりインテルで自身初となるゴールを決めた。

 しかしこのゴールは、同時にマンデッリにとってインテルで最後のゴールにもなった。マンデッリは同年夏にラツィオに期限付きで貸し出され、1987年には サンベネデッテーゼに売却される。そしてその後、メッシーナ、レッジャーナ、モンツァ、フォッジャといったクラブでプレーした。

 フォッジャからモデナに移り、1990年代後半の5シーズンを同クラブで過ごした後、マンデッリはセリエC2所属のサッスオーロに移籍し、そこで選手としてのキャリアに幕を下ろす。しかし同クラブで指導者としての道を歩むことになり、2003年からサッスオーロのU19 監督を務めた。

 マンデッリは今シーズン(2016-17シーズン)、コーチ人生で最大の偉業を成し遂げた。3月29日にチームをヴィアレッジョ・カップ優勝に導き、サッスオーロにとって同大会初のタイトル獲得を果たしたのだ。これによりマンデッリは、選手としても監督としても同大会優勝を経験している数少ないうちの1人となった。


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