ジョルジオ・マリアーニ、非凡なる天才

 気まぐれな天才、ジョルジオ・マリアーニの記憶に深く残るインテルでのキャリアを振り返った。

 ミラノ発 - ジョルジオ・マリアーニは才能豊かであると同時に、常軌を逸した天才として歴史に名を残すことになった。彼は実直な男であり、ピッチの上でも外でも寡黙だった。調子の良い時の彼は相手に真っ向から立ち向かい、どんな決意を持ってしても彼を止めることは不可能だった。

 

 彼の突破力と競争心は1973年11月、エレニオ・エレーラの目に留まる。彼の2度目となる短い監督就任期間、エレーラは非凡な才能を持つ選手、多くのタイトルを獲得した監督初年度となるインテルで、ジャイール・デ・コスタが担った役割を果たせる選手の必要性を感じていた。

 

 マリアーニは1シーズン半をネラッズーリと共に過ごし、通算で57試合に出場した。これは直ぐ去ることになったパレルモを除き、ブルーノ・パサノラ率いるセリエAのディフェンディング・チャンピオンであるフィオレンティーナに所属し、ロベルト・ボニンセーニャの完璧なパートナーになるであろうと目された選手には少ないといえるだろう。

 

 マリアーニの無愛想で率直な物言いは当時異例とも言えるものだったが、それは彼がピッチ上で見せた才能を見劣りさせるものではなかった。彼はソックスを足首まで下げ、黒い巻き毛をなびかせてプレーした。5-1で勝利を収めたACミランとのダービーで、ピエール・ルイジ・ピッツァバラのクロスからインテルの5点目を決めた場面と共に、彼の巻き毛は多くの人々にとって忘れ難いものとなっている。

 

 確かに多くの得点を決めることはなかったが、彼は記憶に残る選手として運命付けられていた。インテルから籍を移したチェゼーナでは同クラブの最初で1度きりとなるUEFAカップの試合、ラウンド32のFCマグデブルク戦へ出場した。同シーズン、チェゼーナは下部リーグへ降格し、マリアーニはヴァレーゼへ移籍、その後カルピFCへ移りプロキャリアの晩年を当時セリエDでプレーしていたサッスオーロで過ごしている。


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