インテルとアタランタ、2つのネラッズーリの歴史

 日曜日のセリエA戦に向け、MondoFutbolが黒と青をチームカラーとする2つのクラブのルーツを振り返る。

 ミラノ発 – インテルとアタランタには、そのネラッズーリカラーとニックネームだけでなく、他にも共通点がある。両クラブはその歴史の中で、決裂と合併を経験しているのだ。

 インテルナツィオナーレ・ミラノの創設ストーリーは、広く知られているものだ。1908年3月9日に、何人かの選手がACミランに異を唱え、ヨーロッパサッカー界で最も栄光に輝くチームの1つを創立した。画家のジョルジョ・ムッジャーニが、2色を用いてクラブのロゴをデザインした。その2色とは、夜のような黒と空のような青だ。

 これと同じ色が、1920年にできたアタランタのチームカラーにも選ばれた。アタランタはベルガモにあった2つのビックチーム、ソチエタ・ベルガマスカ・ディ・ジナスティカ・エ・スケルマとソチエタ・ベルガマスカ・ディ・ジナスティカ・エ・スポルツ・アトレティチ・アタランタの合併によってできたもので、新チームのカラーには、前者(白と青)と後者(白と黒)のチームカラーから一色ずつ採用された。

 20世紀初頭、多くの若きスポーツ選手はベルガモのチッタ・アルタにあるスポーツクラブでトレーニングを行っていた。しかし当時、丘の上にあり、城壁に囲まれたこの地区には徒歩かケーブルカーで行くしかなかったため、5人の選手がその城壁の下に自分たちのジムを設立することを決断。こうして、ソチエタ・ベルガマスカ・ディ・ジナスティカ・エ・スポルト・アトレティチが創設された。

 この新しいクラブは急成長を遂げ、ベルガモのもう1つのクラブの良きライバルとなる。しかし1919年のFIGCの決定により、ベルガモからは1つのチームしか1部リーグでプレーできないことになってしまった。どちらのチームが1部リーグに所属するか決めるためにプレーオフが予定されたが、両チームは共に前に進むために、合併を選択する。こうしてアタランタは誕生し、それ以来黒と青をチームカラーとしている。

 インテルとアタランタが初めて対戦したのは、1937年12月まで遡る。アタランタで行われたこの試合では、セヴェロ・コミネッリが1ゴール挙げ、アタランタのホーム勝利に貢献した。ところでコミネッリは、アタランタとインテル間の移籍を繰り返し、キャリアの大半を両クラブで過ごした。同MFはセリエA でアタランタ選手として117試合出場、インテル選手として116試合出場を果たした。2つのクラブを行き来したコミネッリだが、身に着けていたのは常に黒と青の2色だった。


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