ミラン発 - ばん、ばん、ばん - ボールが壁に当たる音がメトロノームのように規則正しく響き渡る。一人の若者が、何度も何度も、同じパワーで正確に壁にボールを蹴りつけ、与えられたタスクをこなす音だ。サッカーのマジックは、トレンティーノの谷にも届きえたようだ。
アンドレア・ピナモンティは、イタリア北部の山奥に生まれた。最寄の町ですら遥か遠くに位置し、主要道路までも30分以上を要する場所だ。しかし、彼の持つ情熱を妨げられる物はこの世にないようだ。彼の断固たる主張は、最も近い存在である父をも驚かせ、その主張は父に勝り、当時まだ5歳のピナモンティは夏季サッカースクールに参加した。
当時サッカースクールで指導をしていたのはロベルト・ヴィンチェンツィ。彼が初めてピナモンティに着目した人物だった。彼は、その子供の能力に驚いていた。その小さな少年から成長しようとする気持ち、プレーに対する情熱に。スクールにいた他の子供たちは少なくとも3歳以上年上だったにも関わらずだ。ヴィセンツィは、利き足ではない方の足を練習するように指示し、アンドレアは外で多くの時間を過ごすようになった。彼とボールと壁が友達だった。彼は片方の足しか靴を履くことを許されなかった。つまり、左足にしか靴を履けなかった。左足で蹴るのを余儀なくさせるためだ。すると、次第にパワーと精度が向上していった。
アンドレアが初めて加入したクラブ、バッサ・アナウニアでも、そしてキエーヴォ・ヴェローナでも全体練習後には同じトレーニングが続けられた。自宅までの1時間半の道のりを苦にせず。同じ壁、同じ足を使った。家族がインテルの大ファンだため、アンドレアはインテルへの入団を夢見るようになる。したがって、インテルのトライアルを受けるに当たって、迷いなどは一切なかった。すると、アンドレアはゴールを決めまくった。インテルの下部組織で重要な役割を担っていたユースの責任者ジュリアーノ・ルスカとスカウトのピエルルイージ・カシラーギは、アンドレアのプレーを見て、練習試合を継続させた。
アンドレアがインテル入団という夢を叶えてから4年が経過し、Giovanissimiカテゴリーに属するようになる。1999年生まれのアンドレアだが、体格的にも能力的に優れていたため、彼は常に年上に混ざった練習していた。昨年彼がプリマヴェーラのメンバーに入ったのも飛び級だ。彼はすぐにステファノ・ヴェッキに力を認めさせ、ウディネーゼ戦に出場し、ゴールを奪った。彼は普段、チームメイトや対戦相手よりも少なくとも2歳年下なのにも関わらず、ベンチ入りは当たり前となり、ほぼ毎試合、得点を決めた。
17歳になると、彼はヨーロッパリーグのスパルタ・プラハ戦で初めてトップチームデビューを果たした。そして、先制点となるエデルのゴールをアシスト。彼はクロスを左足で的確にコントロールすると、ゴールを背にボールをキープし、将来のチームメイトであるエデルにラストパスを送った。
アンドレアは出場した試合で毎回素晴らしいプレーを披露する。だから、インテル若手有望選手として人々が期待している。インテルファンたちは彼の左足でのゴールを待っている。彼の前には壁はなく、ただゴールがあるだけだ。