ミラノ発 - 「偉大な選手はそのアイディアを発展させる」
試合前のテレビスタジオにて、サンプドリア監督のマルコ・ジャンパオロは監督としての哲学を披露した。同監督の哲学は、長年多くのイタリアのクラブでアシスタントコーチを経験したことによって培われたものだ。
ジャンパオロはスイスのベッリンツォーナに生まれたが、彼の家族の元々の出身地であるアブルッツォで育った。ジャンパオロの父はインテルのサポーターで、特にエレニオ・エレーラのファンだった。サッカー選手になろうというマルコ・ジャンパオロの決意には、アルゼンチン出身のスター(「家でサッカーについて話す時、いつもグランデ・インテルの大スターの名が挙がったものだ」)についての父の熱弁の影響も少なくないだろう。
現役を引退した後、ジャンパオロはまずスカウトとして、次にチームマネージャーやアシスタントコーチとして成功に必要な野心を示し、最終的に監督となった。“エレーラ式の教育”が実を結んだといえるだろう。
実際のところ、ジャンパオロは平凡な監督とはかけ離れていた。多くの点から見て、イタリアの監督の中でもエリートに属する彼は、非常に規律正しいディフェンスラインをベースとした特別な戦術を用いた。ジャンパオロの揺ぎ無い4バックは相手選手の動きよりも、ボールやゴールとの位置に常に注意を払っており、それによって相手の攻撃は守備陣の柔軟で自然な動きによって防がれていた。
しかしながら、ブレシアでの不快な出来事によってジャンパウロのキャリアも危うくなり、クラブを去ることを強いられる。ジャンパウロは下部リーグへと移り、クレモネーゼの監督に就任するが、そこでも成功を収めることは出来なかった。
このようなことは十分に起こりえることだ。だが、エレニオ・エレーラへの憧れとサッカーへの情熱と共に育ったジャンパウロは、そこで諦めなどしなかった。
機会はすぐに訪れた。先見の明で知られるエンポリが、ディフェンスラインの構築に特に優れた監督を探していたのだ。前監督マウリツィオ・サッリの後任としてエンポリの監督となったジャンパオロは、チームに自身のアイディアを加えていった。
偉大な選手はそのアイディアを発展させる ― このことは新たに不動の信条となり、エンポリは特にシーズン前半、セリエAの注目と賞賛を集めた。ディフェンスラインがジャンパオロの望む通りに動く一方で、テクニックの優れた選手には攻撃の場面で活躍するのに十分なスペースが与えられていた。
ジャンパオロは、新しく就任したサンプドリアでも前クラブと同様の理論を用いている。そしてその根底には一貫して、父のレッスンによって刻みこまれたエレーラのグランデ・インテルとサッカーへの抑えきれない愛が流れている。