アルパド・ワイズにちなんだユースサッカー大会、ミラノで開催

人種差別の犠牲になった元インテル監督がイタリア統一リーグ初スクデットを獲得したスタジアムで

[ミラノ] 9月26日(木)、ミラノ市内でインテル/ミラン/ボローニャの“アッリエーヴィ”世代チーム(15〜17歳)が対戦する3チームトーナメント“アルパド・ワイズ”大会が開催される。

ミラノ市とボローニャ市、“W il calcio”組織、および複数のコミュニティ/労働組合グループが主催するこの大会の舞台となるのは、歴史的なスポーツ会場である“アレーナ・チーヴィカ”。1929−30シーズンにイタリア統一リーグ初スクデットを獲得したインテルは当時、このスタジアムでプレーしていた。そのチームの指揮を執ったのは、ユダヤ系ハンガリー人のアルパド・ワイズ監督だった。南米を訪問した経験を持ち、世界を知る指揮官はサッカーにおける練習法や戦術を積極的に研究する先駆者として名を残した。そもそも、あのジュゼッペ・メアッツァを発掘したのもワイズだった。

ワイズはイタリアをこよなく愛し、妻のエレナ、長男のロベルトと長女のクララと一緒にこの地に暮らしていた。インテルの後、ボローニャの監督として2回のスクデットを勝ち取ったワイズはしかし、人種差別の抑圧から逃れるために1938年にイタリアから逃げる羽目になった。パリを経由してオランダのドルトレヒトに移住し、地元チームの監督を務めたが、やがて家族と共に逮捕されてアウシュヴィッツ強制収容所へ連行された。

家族のエレナ、ロベルトとクララがまもなくガス室に送られ、1944年にワイズ本人も力尽きて息を引き取った事実が明らかになったのは、それから数年の歳月が経過してからだった。

今回、アルパド・ワイズにちなんで命名されたこのユースサッカー大会は、すべての差別に反対するメッセージを込めて開催される。

 


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