レンナート・スコグルンドと“ヴェレーノ”、50年代の思い出

スウェーデン人カンピオーネは54年前の今日、インテルでの最後の試合に出場。兄貴役のロレンツィとの関係は特殊だった

[ミラノ] ちょうど54年前に当たる1959年5月28日、スウェーデンからやって来たカンピオーネ、レンナート・スコグルンドがインテルの一員としての最後のゲームに出場した(サン・シーロでのバーリ戦、ネラッズーリが2−1で勝利)。ブラジルのサンパウロFCのオファーを断り、21歳の若さでインテル入りを果たしたスコグルンドは、1952−53シーズンと1953−54シーズンのスクデットに貢献した優秀な左ウィングだった。

50年代のミラノの雰囲気に魅了されていたスコグルンドは、アペリティフの時間に繁華街を訪れるのが大好きであることで知られていた。様々な悲劇と苦難をもたらした第2次世界大戦が終わり、誰もが生活を立て直し、人生を楽しもうとしていた時代である。有名人が中心街を散歩するのは普通の光景で、一般人はスターに会えることを期待して街に足を運んでいた。

当時のインテルで、スコグルンドの兄貴役を務めるのが、闘争心溢れるフォワードのベニート・ロレンツィだった。その鋭いプレーのため“ヴェレーノ”(“毒”)というニックネームで親しまれていたロレンツィは色黒でずんぐりした体格で、金髪で華奢なスコグルンドとは対照的な存在だった。ロレンツィは夜の街の誘惑に負けがちなスコグルンドが試合に向けてコンディションを崩さないように、ミルク1リットル瓶だけを与えて家に閉じ込めるという荒療治を使うことで知られていた。

性格もプレースタイルもかけ離れていた2人だったが、晩年も違う形で迎える展開となった。最後までインテルとの関係が完全に途切れなかったロレンツィは、2007年に82歳で他界した。スコグルンドは一方、1975年に46歳の若さでこの世を去った。世間は彼のことを忘れてしまっていたようだが、彼も世間を忘れたかったのかも知れない。

広報部


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