[ジェノヴァ] マッシモ・モラッティ会長はジェノヴァの最有力紙“Il Secolo XIX”のジャンピエロ・ティモッシ記者のインタビューに応じ、21日に逝去した『長い間、道を共にした良き友』、サンプドリアのリッカルド・ガローネ会長を追悼した。
「彼と私の共通点はサッカークラブの会長であることと石油業だけではありませんでした。彼は私と同じで、熱狂的なファンでもある会長だっだのです」
モラッティ会長、あなたにとってリッカルド・ガローネはどういう存在だったのでしょうか?
「私と同じ問題を抱えた友人でした」
どういう問題ですか?
「愛するチームが勝てるようにするために、巨額を投資することですね。リスクが大きいし、自分以外に複数の人を巻き込む事業ですが、やらねばならないと感じることなのです。彼も、私と同じで、義務感でこの冒険に挑んだのです。これについて話したことはありますよ。彼は疑問に感じている部分もありましたが、あの勇気と決意がない人だったら、不安が大きすぎて退いていたことでしょう。ところが、彼はそれを大いなるチャレンジにしたのです」
その『義務感』とは?
「自分の町のチームが、自分自身とその家族が愛してきたチームが、サッカー史からかき消されることを避けるようにする、という義務感です。私は彼より何年か早く、これに似た義務感を感じて、父親が偉大にしたインテルを受け継ぐことを決心していました。ガローネ・ファミリーのサンプドリアがどれだけ特別なものだったか、そしてこれからも特別であり続けるかを象徴するイメージで、私の心の中にいつまでも残るものがあります」
そのイメージとは?
「ジェノヴァのスタジアムで、ラフな帽子を被って葉巻をくゆらしながらスタンドに座っている良き友リッカルド(ガローネ)のイメージですよ。彼の周りには、子供たちと孫たちが座っていてね。家族に囲まれてサンプドリアの試合を観戦する彼の姿こそ、いつまでも私の中に残るイメージです」
クラブ会長として、石油会社のトップとして、対立したことはありませんか?
「お互い独自の製油所を持っていましてね。市場はもちろん同じなので競合といえば競合ですが、対立したことはありませんでした。欲張ることさえ避ければ、誰もがやっていける業界なのでね。リッカルドは欲張ることはありませんでした。私もそうであることを願っていますが、それは自分で言うのではなくて他人が評価することですね」
熱狂的なファンでもあるクラブ会長としての対立は?現に、2003年6月にセリエA昇格を果たしたとき、ガローネは業界の様々な人物に食いかかって、モラッティ会長もその餌食になりましたよね...
「覚えてますよ、私は狂っていると言われました(笑)。まあ、少しばかりは当たってましたけどね。友人同士で批判し合って、例えケンカになっても受けた批判について考えさせられることはあります。あのときにしても、そうでした。あれから数年が過ぎた今、物事は明解になりました。狂ったような巨額が費やされるサッカーの時代は幕を閉じて、金が真の情熱を殺してしまうリスクを防ぐことができたのです。私にとって、サッカーは情熱です。リッカルドにとってもそうでしたし、彼の息子のエドアルドにとっても、家族の全員にとってもそうなのです」
ちょくちょく連絡を取り合っていたのですか?
「数週間前にも話しましたよ。何の用事だったかは覚えてませんが、多分これという用事はなかったのだと思います。友人同士だと、そうですからね。彼と話すのが好きでした。サッカーに対する情熱だけではなくて、様々な共通点がありましたしね。政治や文化のこと、自分たちの町であるジェノヴァとミラノのこと、色々な話をしていました。私は、彼の人の話を聞いて、ストレートに意見を述べる能力が気に入ってました。反応が素早いのも印象的でした。手を打つべきかどうかすぐに判断して、直ちに行動に入る人でした。賢明な人で、最後まで若々しさを保っていました」
ガローネはメルカートの噂話を毛嫌いしていました。数少ない例外を除いて、代理人という人物に対しても好感を抱いていませんでした。一方、モラッティ会長は常にメルカートの件では主役を務めている様子ですが、これはガローネ会長との違いと言えるでしょうか?
「冗談じゃないですよ。私はリッカルドとまったく同じ考えです。こういうことについてよく話していましたよ。石油業の件だったら激怒していたような場合でも、サッカーとなると我がチームに対する情熱が物事を和らげてくれるということもあるよね、と笑い飛ばしていたこともあります」
ガローネがイタリアサッカー界に残すものは?
「情熱ですね。真の情熱とは、誰にでも持てるものではありません。強いと同時に感性に富んだ心からしか生まれないものなのです。リッカルドは明解なビジョンを持った、素晴らしい理想家でした」
[ジェノヴァ最有力紙“Il Secolo XIX”より]