デヤン・スタンコヴィッチが故郷ベオグラードを語る

レッドスターの一員としてパルチザン相手のダービーを体験しているデキが生まれ故郷について寄稿

ベオグラードは、僕が心から愛している故郷です。僕はパルチザンのホームスタジアムに程近い病院で生まれました。両親は昔から素朴な人で、当時は二人とも工場で働いており、僕の家族は不自由のない生活を送っていました。我々は昔も今も、美味しい料理や友だちとの夕べの集いを楽しむことが好きです。好きといえば、ドナウ川とサヴァ川が合流する、ベオグラード中心のカレメグダン地区も大好きです。多分、町で最も美しい風景が楽しめる場所だと思います。そこには、地元の人が“勝者の肖像”と呼んでいる銅像がありますが、それは僕の同国人の力を象徴しているものなのです。

ベオグラードは戦争の傷跡が残っていて、外国人の想像では暗いイメージがあるのかも知れません。でも、実際は居心地がいいし、僕が案内したイタリア人の友だちはみんな滞在を楽しんでくれたみたいです。爆撃の跡はまだはっきりと残っているものの、町中は命がみなぎっているし、人々は人生を楽しみたい気持ちでいっぱいです。戦争はもう、乗り越えられたことなのです。

ベオグラードに里帰りする度、僕は町の感じがあまり変わっていないように思えます。19歳のときにイタリアに渡ったわけですが、それまでの少年時代の思い出、若きサッカー選手としての思い出はたくさんあります。僕はレッドスター・ベオグラードでプレーしていて、パルチザンとのダービーの際は、スタジアムに9万人のファンが押し寄せたものです。ベオグラードにいたころ、僕はすべての夢が叶うという幸運に恵まれました。憧れのダービーに出場するという夢も実現して、パルチザン相手に決定的なゴールを決めることもできました。選手になる前から僕は大のレッドスターファンだったので、勝つときは2倍の嬉しさ、負けるときは2倍の悔しさを味わっていました。スタンドは熱狂的なサポーターで賑わっていましたが、今夜のパルチザン対インテル戦もそうなることでしょう。セルビアでは、サッカーは人気度ナンバーワンのスポーツです。インテルのようなビッグクラブがやって来るときは、人々は一段と熱くなって雰囲気は最高に盛り上がるのです。若かったころのパルチザンとのダービーの思い出は、いつまでも僕の中で生き続けることでしょう。その後、19歳のときにベオグラードを後にしたので、1999年の戦争は直に体験していません。でも、終わりのない悪夢に感じた3ヶ月半でした。

今夜の試合に僕も行けないのは残念です。チームに同行するというのは魅力的な案だったものの、今はピッチに戻るためのリハビリプログラムに打ち込んでいる最中なので、2日間休むというのは避けたいと思い、断念したのです。ミラノに残って、試合はテレビ観戦することにしました。僕にとって、これは様々な意味を持った試合です。僕の生まれ故郷で行われて、少年時代の最愛のレッドスターを彷彿させてくれる試合だし、親愛なるチームメートがパルチザンと対戦するのです。ベオグラードの人々がどれだけ熱狂するかをよく知っている僕に言わせれば、白熱の対決になることは間違いありません。

デヤン・スタンコヴィッチ


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