NOT FOR EVERYONE:インテルのキャンペーンの顔

 インテルの新しい世界的なメディア・キャンペーンにおいて、ヒーロー・ビデオに登場する5人のストーリーを紹介する。

 インテルのビデオのために選ばれた5人は、勇気と犠牲と忍耐によりそれぞれの分野で偉業を成し遂げた。

オマー

ミラノは彼の街であり、大きなインスピレーションを得られる場所だ。オマーはミラノで最も革新的であり、イタリアで最も有望なストリートアーティストの1人だ。

 本名はフェデリコ・ウニアというオマーは、自身が生まれた街ミラノから人間としてもアーティストとしても強い影響を受けた。オマーはミラノをこのような言葉で表現している:「この街は美しい女性のようだ:魅力的で興味が掻き立てられ、魅惑的だ」。様々な広告が溢れるこの素晴らしいメトロポールこそ、彼ならではのユニークな言葉での表現を生み出す環境を提供している。

 ブレラ・アカデミーを卒業したオマーは、2004年にアーティストグループのTheBagArtFctoryとのコラボレーションを始めた。2007年には、イタリアのアートシーンで高評価を得ている歴史あるミラノのグループTDK Crewに加入した。

 オマーのアーティストとしてのアイデンティティは、ポップアートにおける集団的な実験とネオダダのアイディアによる混乱に対する反応から成り立っており、ヌーヴォー・レアリスムス(特にミモ・ロテッラ)によるポスターアートの再解釈やラウシェンバーグのコンバイン・ペインティング、アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインのポピュラーなアイコンをモチーフにした作品からインスピレーションを得ている。その結果、様々なスタイルとテクニックを組み合わせる彼の能力を強調し、印象的な創造性を表現する独自の手法とハイブリッドなアーバンポップカルチャーが生まれた。

 その創造性を自由に解き放ち、彼が“視覚的な感情”と呼ぶものの表現を可能にするために、オマーは現実と想像の両方で壁を登る。これは確かに普通の人生ではなく、Not For Everyoneと称するに相応しいものだろう。

エアトン・コッツォリーノ

 彼にとってサーフィンは単なるスポーツではなく、考え方、宗教、そして生き方だ。サーフボードと育った彼の運命は常に波が共にあった。

 コッツォリーノは1994年に西アフリカの沖合いの小さな島、カーボベルデ共和国のサル島に生まれた。大西洋の強い風が吹くこの島は世界の有名サーファーにとってパラダイスだ。

 コッツォリーノが初めてサーフボードに触れたのは4歳の時だった。10代をサーファーに囲まれて過ごし、彼らから波の乗り方を教わって、その才能を開花させた。2010年、エアトンはカイトサーフィンのインストラクターになるためにカーボベルデに移住してきたイタリア人リベロ・コッツォリーノの養子となる。情熱が父と息子の絆を強め、彼らはカーボベルデとキア(サルデーニャ)にカイトサーフィンとサーフィンのスクールを開校した。

 しかしエアトン・コッツォリーノはインストラクターで終わらなかった。2011年以降数多くの国際大会に参加し、同年にはカイトサーフィンのワールドチャンピオンに輝いている。その3年後、コッツォリーノは自身で大会(Red Bull Unfastened)を主催し、GWA Wave & Strapless Freestyle Tourで更なる成功を収めた。2016年にはタリファで行われたKitesurfing Proで優勝し、2017年には改めてカイトサーフィンの世界王者となった。

 しかしカイトサーフィンやサーフィン、様々な大会だけではコッツォリーノは満足しない。コッツォリーノは常に自身の人生を反映する何かを探し続けているアスリートだ。そのような人生は誰もが送れるものではない。そのため彼は文字通り水の上を飛ぶことができる特別なサーフボードを考案した。これによって、飛行機の離陸とよく似た原理を用い、波や風の有無に関係なく湖や川でも可能な新たなスポーツが生み出された。強さと持続力と忍耐力を擁する、Not for Everyoneといえる競技だ。

STERMY

 この名前が表現するのは2つのストーリーだ:その1つはリグーリア州出身で養子となったロンドン人の人生、そしてもう1つはライバルが増え続け、成果を出すのが日に日に難しくなるバーチャル世界での成功。Stermyの名で知られるアレッサンドロ・アヴァローネは、ゲーマーとなってからの15年間で様々なゲーム ― もしくは彼が言うように競技 ― において数多くの国際的な勝利を収めてきた。子どもの頃はプロのサッカー選手になることを夢見ていたが、成長するにつれ、自身がゲームの世界で勝者になれることに気が付いた。

 Stermyのゲーマーとしてのキャリアはワールドサイバーゲーム、詳しくはQuake III Arena tournament に参加した2001年に始まった。15歳で韓国の決勝に進出し、世界で最も高く評価されるQuake III Arenaプロプレーヤーとなった。その後Painkillerに転向すると、ここでも成功を収め続けた。2005年にファイナル・チャンピオンシップ・イベントで3位となり、the World Series of Video Gamesへの参加で世界的な注目を集めた。シューティングゲームからストラテジーゲームまでプレーし、FIFAプレーヤーとしてチャンピオンシップ・ゲーミング・シリーズ(CGS)に参加した初めてのプロプレーヤーとなり、2シーズンにわたってFrancisco Optx teamチームの一員としてプレーした。Stermyはキャプテンとしてチームを率い、CGSワールドファイナルで2位となった。2009年以降はQuake Liveに専念しており、2009年から2011年までQuakeCon tournamentの3位以内に入り続け、2011年にはチームと共にDreamhack Summer及びDreamhack Winterで勝利した。2012年にはShootmania Stormに参戦し、エレクトロニック・スポーツ・ワールドカップとIGN Pro Leagueの2つの世界タイトルを含む出場した全てのトーナメントに勝利した。2017年には新しいid SoftwareタイトルのQuake Champions に移行し、QuakeConで2位となる。そして2019年、Twitch Rivalsのヨーロッパ大会で優勝を果たした。

 プロのゲーマーになることは障害物競争に臨むようなものだ。ゲーム毎に取り組む必要がある。自分自身の力で地位を築き、バーチャル世界での競争が現実の世界より厳しい場合があることを毎日証明しなければならない。誰もが成功できるわけではない。Not for Everyoneの世界だ。

ジェシカ・カハワティ

 モデルの人生はキャットウォークとドレス、パーティーばかりではない。国から国、大陸から大陸へと移動し続けることで、若い女性は定期的に異なる文化や言語、信念に触れることになる。この経験によって彼女たちの物事の見方が変わることもある。これこそ、ジェシカ・カハワティを単純にモデルという肩書だけで表現できない理由だ。

 カハワティはIWCやルイ・ヴィトンといった世界的なトップブランドの大使であり、ニューヨーク・タイムズや各国のVogue、Elle、L'Officiel、Conde Nast Traveler、Harper's BazaarやMarie Claireの表紙を飾り、テレビ番組にも登場する。しかし彼女にとってこれらの活動だけでは不十分だ。自身の名前を使って世界的な関心に注目を集め、若い女性が教育や芸術を通じてその可能性を最大限に発揮できるように支援するという、誰にでも進めるわけではない道を選んだ。ビジネスファイナンスと人権法を学んだことは、彼女が国際NGOや人権団体と共に働くことを可能にした。その際にカハワティはシリア最大の難民キャンプや国連とのバングラデッシュ訪問後のロヒンギャ危機など、大きく異なる現実に直面した。

 ジェシカ・カハワティは単なるモデルではない。彼女は慈善家で大使であり、宣教師だ。アラブをルーツに持つオーストラリア人として2つの魂を結び付け、スポットライトを浴びて短期間に世界に自身の名が知られるようになったことを、ポジティブなメッセージを広めること、異なるメッセージを広めるために上手く利用した。そのメッセージはNot for Everyoneだ。

DUAN JINGTING

 夢を見ることを恐れない。これはダンサーであり、コレオグラフィーであり、アーティストであるDuan Jingtingが創設したダンススクールD. LAB Danceのインスピレーションを呼び、鼓舞されるようなメッセージだ。     

 上海のダンススクールの卒業後、Duan Jingtingは上海国際バレエコンクールで審査員特別賞を受賞し、ブルガリアで行われた第20回ヴァルナ国際バレエコンクールの”最優秀新人バレリーナ”に選ばれ、第7回桃李杯ダンスコンクールジュニア部門で3位となった。上海バレエ団と香港バレエ団の一員となり、クラシックバレエの名作の有名な役を踊った。

 2014年に第一線を退くと、プロフェッショナルと初心者、大人と子どものダンサーのためのダンススクールD.LAB DANCEを創設。このスクールではクラシックからモダンダンス、更に中国の伝統的な舞など様々なカリキュラムが組まれている。これらすべての要素によって、D.LAB DANCEは上海で最も有名なスクールの1つとなった。

 Duan Jingtingはまた、‘Street Dance of China’や‘Shake it up’といったダンスに関するテレビ番組に出演するほか、‘PhantaCity’というショーの演出も手掛けている。彼女には稀有な優美さと優雅さがあり、ファッション雑誌でも最も人気のあるアーティストの1人だ。彼女の顔はハードワークと努力、ダンスの世界 ― 強く決心した蝶の世界 ― で成功を収めるために必要な忍耐力を物語っている。その世界はNot for Everyoneだ。


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