#INTERONTOUR:アジアツアーが決定

 プレシーズン・トーナメントに参加するため、ネラッズーリが今夏アジアツアーを開催

 ミラノ発 - インテルがアジアを初めて訪れたのは40年以上前のことだが、2019年の夏にはインテルが再びアジアで開催されるトーナメントへ参加することが決まった - これはインテルがアジアとの関係を深めている証左とも言えるだろう。

 インテルが最後にアジアを訪れたのは2017年7月、ディエゴ・ミリートがネラッズーリのツアーアンバサターとして同行し、シャルケ04、リヨン、バイエルン・ミュンヘン、チェルシーと試合を行うため、南京、常州、上海と移動し最後にはシンガポールの土を踏んだ。2015年にはマンチーニ率いるチームがトーナメントに参加するため上海、深圳、广州を訪れた。

 インテルがアジア初訪問は1978年にさかのぼる。エウジェニオ・ベルセリーニ率いるネラッズーリは中国を初めて訪れたイタリアのチームだった。北京は、未だ語り継がれる世代交代が行われた場所でもある。親善試合の第1戦をピッチ外で追ったサンドロ・マッツォーラはハーフタイム中、エヴァリスト・ベッカロッシへと背番号10番のユニフォームを手渡したのである。マッツオーラはこの試合を機に原石を引退し、役員となった、ベッカロッシにとってはこれが初試合となり、この経験は同選手のインテルの思い出として深く刻み込まれた:「我々の初ツアーは素晴らしいものだった。ネラッズーリのユニフォームを着て初めてピッチに立った。 80,000人の観衆がスタジアムに詰めかけ、試合終了の笛が鳴ると自転車に乗って去っていったのをよく覚えている。それまではブレシアでトレーニングを行うため電車に乗ったことしかなかった。遠く離れた国で過ごした経験は実に類を見ないことで - それはネラッズーリでの初ゴールを中国で決めたこと同様他に類のない経験だったよ」

 このトーナメントはネラッズーリの背番号10番に取り歴史的な1コマというだけでなく、未来へ向けた情熱にも繋がるものだった。その3ヶ月後、中国代表チームがトーナメントに参加するためイタリアと欧州を訪れ、その初戦で偶然にもサン・シーロでインテルと対戦したのである。2009年、ジョゼ・モウリーニョのネラッズーリがラッツィオとスーペル・コッパ・イタリアーナ決勝を戦うために再びアジアを訪問。チームは敗戦を喫したものの、それは歴史的な3冠達成を果たしたシーズンの始まりに過ぎなかった。6つのトロフィーを掲げたその2年後、更に多くのファンを獲得したインテルは、北京を再び訪れ中国の地で初めて#DerbyMilanoを戦うこととなった。

 インテルが書き記した中国での歴史はそれだけには止まらない。インテルアカデミー、インテルキャンパス、インテルクラブ。インテル・フォーエバーを始めとするプロジェクト、また現地のパートナーにより、インテルというブランドは急速な成長を遂げ、そしてインテルのアジアでの存在をより特別なもの蘇寧グループの関与以来、その勢いは増すばかりだ。

 そして今新しい1章がインテルの歴史に刻まれる:さあ、アジアへ!

 


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