ローラン・ブラン、エレガンス溢れるディフェンス

 今週のインテル対ナポリ戦に先駆け、両チームに所属しミッドフィールダーからディフェンダーへ転向した過去を持つ選手にスポットを当てた。

 ミラノ発 「ディフェンダーでプレーしろ?ありえない!」

 善意から貰ったアドヴァイスがありがたくもない、ということは往々にしてあるものだ。1990年、モンペエリエに所属したローラン・ブランが、彼の監督ミシェル・メジからディフェンスでプレーすることを勧められたときも、同選手の答えは絶対的な拒絶だった。

 試合前日、メジはブランの部屋で数時間に及びこれはいいコンバートだと説得を試みた。ブランはポジションを変えるつもりはなく、メジは結局最後通告を与えざるを得なかった。「ディフェンスで出場するか、でなければ全く出場しないかのどちらかだ」

 ブランはモナコが彼の痩身を理由に入団を拒否した後、15歳でモンペリエに加入した。モンペリエで身長は10センチ伸び、そこでプロデビューを飾ると、モンペリエの1部昇格に貢献した。彼の試合を読む能力は、守備の要とプレーしてこそ彼は活きるだろうとメジ監督を確信させた。

 コンバートを行ってから初のフルシーズンとなる1990-91シーズン、彼は個人記録となる14ゴールをリーグ・アンで決め、モンペリエは7位でシーズンを終えた。これを置き土産として彼はその夏、ディエゴ・マラドーナと共にスクデットを獲得し、続く厳しいシーズンを耐えきったナポリへと移った。

 彼はその後共にダブルを獲得することになるオーセール、さらに故障と戦うことになったバルセロナへ移籍する。

 マルセイユと、とりわけ1998年に素晴らしい大会を戦い抜きワールドカップ優勝を獲得することとなったフランス代表では、エレガントかつ技術に長けたディフェンダーは世界の注目の的となった。

 1999年、彼はセリエAに後衛のリーダーを必要としていたインテルで復帰する。後衛のリーダー、それこそがブランであり、彼は最も信頼の置ける選手の一人であることを証明し、残念ながら成功に恵まれることのなかった2シーズンでほぼフル出場を果たした。

 インテル在籍中彼は6得点でチームを助けており、そのうちの1得点はナポリ相手に決めたものだ。

 数年後には成功を収めた監督として名を馳せ(ボルドーとパリ・サンジェルマンでリーグ・アン優勝4回を経験)、センターバックが技術力と得点力を磨くことの重要性を、改めて世に知らしめた。


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